服を買うのにくたびれた? 『服のはなし ―着たり、縫ったり、考えたりー』
雑誌『TRANSIT』の元副編集長である池尾さん。現在は、京都在住のフリーランスとして活躍中です。これまで旅について考えてきた池尾さん(しかし、鼻炎持ち&虫に弱いので旅スキルは低め)が、本を通じて旅を見直します。
コロナ禍でアパレル業界の暗いニュースが続くが、私もここ一年で新品の服をほとんど買わなくなったうちの一人なので、なんとも言えない気分になる。外出や人と会うことが減ったニュースタンダードな暮らしの今、ファッションやトレンドの価値が変わるのは当たり前だし、ありとあらゆる物事の捉え方が人びとの中で変化している。
「今、行司さんなら服について何を思うのだろう?」そんな思いで手に取ったのが本書。著者の行司千絵さんは、新聞記者である傍ら服作りに没頭し、20年間で80人に290着(本書より)を作ってしまったという女性。ファッションの歴史を紐解いたり、素敵な服の作り方を紹介したり、丁寧な暮らしの良さを説いた本ではない。彼女自身が服に惹かれ、時にはファッションの迷宮に迷い込みながらも、自分の物差しで考察してきた、極めて個人的な“服のはなし”の集まりだ。
行司さんについては、雑誌『暮しの手帖』(86号/2017年)で初めて知った。とある企画で、彼女の服作りが取り上げられていたのだ。ご自身やお母様をはじめ、作家のいしいしんじさん、小説家・尼僧の瀬戸内寂聴さんなど、これまで様々な方に作ってきたという服は、どれも纏う人に寄り添い、その人の魅力を最大限に引き出すパワーを放つように見えた。この人は一体何者かと思えば、ファッションデザイナーでもアパレル業界でもない新聞記者の女性(!)と知り、食い入るようにしてページをめくったのを覚えている。
本書では、そんな彼女の服との関わりを幼少期まで遡って知ることができる。1970年生まれの著者は、幼少期はお祖母様やお母様が作った服を着て過ごしていたが、学生時代には垢抜けようとDCブランド等の当時流行のスタイルを好み、社会人になるとパンツルックの動きやすさや、高級ブランドを纏うことが自信に繋がることを知る。そんな彼女のファッション歴は、ファッション好きなら誰にも思い当たる節がありそうなエピソードが満載。だからこそトレンドに嫌気が差したり、でも心の内では装いたい欲が渦巻いていたり、ファッションへの葛藤にも深く共感できる。
服は、趣味・嗜好に直結する属人的なものでありながら、トレンドとして時代を映すものでもあるし、その素材から自然を想起することもできる。ファストファッションブランドのそれなら、アパレル業界を取り巻く発展途上国の労働環境やお金の流れとも切り離せない。
本書は、一着の服を通して見える世界がいかに広いかを教えてくれる。あくまで著者のエピソードを通しての内容なのだが、少しでもファッションに興味のある人なら服について考える良いきっかけになると思う。服を家庭で手作りするのが当たり前の時代に生まれ、既製服が出回り、大量生産やファストファッションの時代を経て、自身のルーツに還るように手作り服に行き着いた著者。そのファッション歴は、この50年で装いの価値がいかに変化してきたかを物語る。帯には「服を買うのにくたびれている、あなたに」とあるように、まさに今ファッションとの付き合い方に悩んでいる人に読んでもらえたらと思う。
(書名)
『服のはなし ―着たり、縫ったり、考えたりー』
行司千絵・著
岩波書店
TEXT / 池尾優(編集者)
この記事は、日常・非日常問わず、暮らしが豊かになるようなアイデアを提案するメディア『日非日非日日(にちひにちひにちにち)』からの転載となります。