新しい“目玉”で 路上を歩くための入門書『路上観察学』
雑誌『TRANSIT』の元副編集長である池尾さん。現在は、京都在住のフリーランスとして活躍中です。これまで旅について考えてきた池尾さん(しかし、鼻炎持ち&虫に弱いので旅スキルは低め)が、本を通じて旅を見直します。
路上のハリガミを見てクスリと笑ってしまった。そんな経験ありませんか? 例えば、こんなハリガミ。
「よい子供さん、石を投げないでね」(『ハリガミ考現学』南伸坊より)
これが目に止まるのは、よくある「良い子の皆さん」の代わりに、「よい子供さん」という聞き慣れない表現をしているからに思えるけれど、実際は、文言から漂う張り主の性格や優しい問いかけの裏にある目論見なども一体となり、その可笑しみを醸成している。このハリガミというのはほんの一例で、本書が取り上げる「路上観察学」の対象は“路上にあるものすべて”。本書では、路上観察の術を知っている者たちによる寄稿や対談、観察記録などを通じて、その心得が解き明かされていく。
そもそも、路上観察学とはなんぞや? という人のために。路上観察学とは、赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、林丈二、松田哲夫、杉浦日向子、荒俣宏といった蒼々たる文化人により、1986年に結成された学問であり活動のこと(実際に学会的な活動をしていたわけではない)。路上観察といっても、ただ闇雲に街を観察すれば良いのではなく、ごくごく簡単に言うと、路上にあるものをよく観察し、スケッチや測量やフロッタージュ(こすり出し)などを用いて、ありのままに採集することだそう。具体的には、何かの“ため”になったり“ウケ”を狙ったりしたものは該当しない。それらを何ら意図せずに、自ずとズレた形で存在していることが重要だ。見たものを見たまま記録するという点で、路上観察に必要な目玉(本書)=視点は、時に子どものそれにも重なると本書はいう。
では実際、路上観察学で目をつけるのはどんなものかというと……例えば、マンホールの蓋や看板に始まり、用途不明の階段やドア、解体現場の建物のカケラ、茶碗の割れ方、川に浮かんでいるもの、タバコの吸い殻、犬の糞尿(!)まで様々。なかには、ヨーロッパ旅行中にした放屁の記録を詳細に残したものもあり、その狂気じみた観察精神には呆れ…いや、圧倒させられる。けれどそれらを前に、一体なんのために、と思ってはいけない。“ため” にも “ウケ”にもならない純朴な記録こそが路上観察の正義なのだから。
そんな静かな熱狂が詰まった観察記録をあれこれ見ていくうちに、不思議な感覚が湧き上がってきた。見慣れた街に、路肩に、ゴミ箱の中に、見るべきものはいくらでも転がっている。それらを密かに採集して愉しんでいるだなんて!と、読み終える頃には、彼らの目玉がすっかり羨ましくなってしまったのだ。
どんな企画も新商品も、まずはコンセプトや形式が求められ、判断される今。対して、好奇心の向くままに、手と足をひたすらに動かしていく彼らの姿勢は骨太そのもの。そこには、時代に左右されない強さがある。そんな目玉をすぐに手に入れるのは難しいだろうから、まずは子どもの頃夢中になっていたものを思い出してみようっと。
(書名)
『路上観察学』
赤瀬川原平、南伸坊、藤森照信・編
ちくま文庫
TEXT / 池尾優(編集者)
この記事は、日常・非日常問わず、暮らしが豊かになるようなアイデアを提案するメディア『日非日非日日(にちひにちひにちにち)』からの転載となります。