感性は磨くものではない? 『感性は感動しない −美術の見方、批評の作法』
雑誌『TRANSIT』の元副編集長である池尾さん。現在は、京都在住のフリーランスとして活躍中です。これまで旅について考えてきた池尾さん(しかし、鼻炎持ち&虫に弱いので旅スキルは低め)が、本を通じて旅を見直します。
「自分には感性が足りていない」「感性をもっと磨かなくちゃ」などと思うことが、時々ある。例えば、世間で話題のアート作品が理解できなかったり、展覧会で傑作と呼ばれる美術作品に感動できなかったりした時だ。だから、やや難解な現代アートの展覧会帰りに本書に出会って、私のために書かれた本だと思った。美術評論界の第一人者で、数多の展覧会のキュレーションを手がける椹木氏が“感性は磨くものではない”と言っているのだから。
本書は著者初のエッセイ集。感性とは何か?から出発し、「1、絵の見方、味わい方」「2、本の読み方、批評の書き方」そして「3、批評の根となる記憶と生活」までの3部から成る。展覧会のまわり方や子どもの絵について、どうして批評家になったか、実際にどのように文章を書いているか、幼少時の様々な記憶、お酒や音楽の話などなど、一見トピックはバラバラだ。けれども一冊を通してみると、それら全てが著者の美術の見方・批評の手法の土台を形づくっているのに気づく。
椹木氏の知識量や経験値はもちろんだが、個人的には文章をとても信頼している。例えば、絵を鑑賞するのに大切なのは「絵をまるごと受け止めること」だと彼は言う。
「絵を描く人は、いろんなことを考え、感じ、思いながら絵を仕上げていきます。(中略)完成した絵は、そうした時間をひとつの面のうえに圧縮した状態です。いわば過程が集積した「状態」です。だから、そういう「かたまり」としての絵を見るときには、私たちもまたそれを「かたまり」として受け取る必要があるのです」(本書より)
このように彼の文章は、丁寧かつ慎重で、頭の中をじっくり観察し、齟齬のないよう注意深く描写された過程が全体から伝わってくる。それもそのはず、本書に批評家についてのこんな一文があって、腑に落ちた。
「批評家は言葉の真の意味で「勘」がよくなければ務まりません。勘を外せば、どんなに知識があっても生き残れません」
その美術批評をする「勘」の精度を限界ギリギリまで上げるために、日頃から自らの思考や感じ方に丁寧に向き合う必要がたぶんあるのだ。
決して、美術鑑賞の時だけ特別な“見る目”が働くのではない。普段からの細かい心の揺れ方や振れ幅の積み重ねが、作品の見方や美意識を形成していく。感性は、日々のあらゆる出来事や思考の積み重ねでしかない。本書からそれを心得たなら、目の前の出来事がいつもより高い解像度で見え、それらを積極的に味わいたいと思うかもしれない。
『感性は感動しない −美術の見方、批評の作法』
椹木野衣・著
世界思想社
TEXT / 池尾優(編集者)
この記事は、日常・非日常問わず、暮らしが豊かになるようなアイデアを提案するメディア『日非日非日日(にちひにちひにちにち)』からの転載となります。